「2位じゃダメなんでしょうか?」
民主党政権時代の事業仕分けで蓮舫議員を一躍有名人にしたこの発言。
恥ずかしながらごく最近までこれを、科学技術研究の重要さを過小評価する政府の当時の姿勢を象徴するものと思っていました。
でも違うんですね。
もはや過ぎ去ってしまった感もありますが、実はこの発言をもともとの文脈の中で見ると、一方的に批判されるべきはない、むしろ良心的だとすら言えるような発言だったことを、ひょんなことから最近知りました。
スパコン事業仕分けの真相
当時の全議事録と生の音声を以下のサイトから確認することができます。
これをよく確認すると、スパコン事業は、
・当初の計画から大きな変更があった(NECの撤退など)
・大きな予算超過状態にあった
・このまま進めた場合、今後700億円もの額を新たに投じる必要があった
という状況にありました。
したがって議論の焦点は、「状況が大きく変わったにも関わらず、スパコン開発プロジェクトをそのまま進め、多大なコストとリスクを背負い込むことは本当に妥当なのか?」という当然の疑問にありました。
しかし、肝心の文科省・理研側の説明はイマイチ煮え切らず、特に理研の方は途中から「世界一を取ることによって国民に夢を与える」「世界一の研究というのは、世界一の装置」など感情的な説明に走っているため、あまり議論がかみ合っていません。
そんな説明で700億円をポンと出せるほど、国が裕福なわけありません。
国民に夢を与えるのは素晴らしい事ですが、本当にこれほどのお金が必要なのか、他に方法はないのか。
そんな流れから出てきたのが、「2位じゃダメなんでしょうか?」の発言だった、というわけです。
こういった流れ全体でみると、当時ずさんだったのはどちらかというと文科省・理研側で、事業の評価者側の方がよっぽど冷静な判断ができていたんじゃないか、という事が分かってきます。
もちろん、事業仕分けという予算見直しの方法自体の成否はひとまず置いといて、です。
認識の正しさってなに
こういうことがあると、「1次情報をきちんと確認しないと物事の見方を誤る可能性がいくらでもある」ことを再認識させられます。
難しいのは、社会におけるあらゆる問題を、1次情報にまで遡って考える事なんて、現代では事実上不可能だろうという現実です。
すると、自分の意見の根拠となっている現状把握のどこからどこまでが正しいのか、正確に知ることも不可能になってしまいそうです。
そんな足元のおぼつかない状態で、確固たる意見なんて一体どうして持つことができるんだ、という気分になってきます。
けれど、自分の意見無くしては行動も生まれないこともまた明らかなんですよね。何をすることが適切なのかを探し求めているうちに寿命を迎えてしまっては本末転倒です。
把握の正確さと行動の軽やかさはトレードオフの関係にあり、両者を完璧に実現することはできないのだと思います。極端な例えをすれば、哲学者と実業家に同時になることは難しいのです。
このトレードオフとどう上手く付き合っていくのかという話は、個人的にも最近身に染みている問題の一つです。これについては、またいつか書きたいなと思うところです。