すだまの足跡

技術と社会を考えたい理系大学院生が残したいつかの足跡。

科普と科幻 中国SFの今

「科学の夢、未来を創る」をテーマにした2019年の中国SF大会が北京で開かれた(2019年11月3日撮影)。

写真:「SF業界が急成長、7000億円産業に 最新の「中国SF産業リポート」発表」CNSより

 

好事家よ、SFを読め!」でSF布教を始めたついでに、最近日本でも突如盛り上がっている中国SFについて書きましょう。中国においては、もともとSFの中でも「科学普及」と書く科普と、「科学幻想」と書く科幻の二種類があります。前者は文字通り科学知識の国民への普及を目的とした啓蒙的な本です。一方、科幻は私たちがSFと聞いて思い浮かべるものにより近く、科学や技術をベースにした幻想小説のことを言います。今まで政府からの支援が厚かったのは、どちらかというと前者でした。

 

しかし2015年、この状況を一変させる出来事が起こります。劉慈欣(りゅう じきん)による科幻、『三体』が世界最大のSF賞であるヒューゴー賞を受賞したのです。なんとアジア人初の受賞となった本作品は、中国における一大科幻旋風を巻き起こし始めました。同作はそれに続く三部作の第一作目にあたるのですが、三作全てを合わせると総売り上げは2100万部を越えると言います。10万部を売り上げればベストセラーと言われるこの世の中で、2100万部ですから、ちょっと頭おかしいです。

 

これがうけて中国政府も一転、いまや国をあげて科幻を盛り上げる気満々でいます。この記事の冒頭にあげた写真は国も支援する中国の2019年のSF大会の写真(写っているのはおそらく劉慈欣)ですが、中国の独特なあの熱気が伝わってきます。この盛り上がりは国民レベルでも同様で、劉慈欣は国の英雄と化しています。SF大会にはSPつきで登場するらしいです。しかしこの人は謙虚な人で、これだけ有名になってもいまだ中国の山奥の発電所でエンジニアをしているそうです。

 

FacebookのCEOマーク・ザッカーバーグや、あのオバマ元大統領も『三体』を愛読していると公言しています(店内広告の書評者の中に何気なくバラク・オバマがいるのが面白い)。アメリカで三体の翻訳版が発売されたのが2014年で、当時はオバマさんもバリバリの現役大統領ですから、現実の厳しい政治世界を忘れられるSFの物語が楽しかったんでしょうね。「私は毎日の些細な仕事で頭を抱えてしまうときもあるが、それは宇宙人との闘いとは比べ物にならない」、「とにかくスケールがものすごく大きくて、読むのが楽しい」と絶賛しています。

 

また、この受賞の背後で大きな貢献をしたのが中国系アメリカ人SF作家である、ケン・リュウです。自身もヒューゴー賞を受賞しているケン・リュウは、翻訳家としても活動しており、中国SFを英語圏に広めた陰の立役者です。日本でもケン・リュウ編の中国SFアンソロジーが発売されるなど、これからも中国のSFはどんどん世界に広まっていくでしょう。

 

そしてついこの間の2019年7月4日、日本にも『三体』が上陸しました。これも発売から一週間で10回増刷されるという日本SF界においては異例とも言えるヒットを飛ばし、先月で紙版の刷り部数が10万部を越えたとのことです。各地書店の売り上げランキングで上位に食い込んでいるようですが、中国産の、しかもガチガチのSFが売り上げで上位にくるなど、はっきり言って異常事態です。『三体』旋風がどれだけ圧倒的なのか分かります。

 

というわけで、中国SFにはこれからも目が離せません。ところで、こうした盛り上がりの背後には、科学技術のレベルが急速に向上し、「明日は今日よりも絶対によくなる」という信念を純粋に持っている中国の現在の雰囲気が確実に存在すると考えられます。日本でも、高度経済成長期に「鉄腕アトム」や「ドラえもん」が生まれたのは偶然ではありません。と考えるとちょっと悔しくもありますね。別に愛国的な考えに走るわけではありませんが、中国から学びつつ、いずれ日本からもSF旋風をもう一度!という気持ちにならないわけでもありません。