すだまの足跡

技術と社会を考えたい理系大学院生が残したいつかの足跡。

デジタル写像で取り残されるもの

CDを買って音楽を聴く人が今どれくらい残っているのか分かりませんし、私も最近はお金が無くてストリーミングサービスで聴いてしまいますが(CDはやっぱり高い)、そういったデジタルなプラットフォームに搭載しきれない体験があることは確かです。CDの表現はディスクの中に記録されている音楽だけではありません。

 

例えば、ケースに付属しているブックレットは通常、それぞれのアーティストが作品のコンセプトに沿って工夫を凝らしたデザインが施されています。歌詞カードと言ってしまえばそれだけですが、ちょっとしたアートブックとも捉えられます。ジャケット後ろの曲リストもちょっとしたアートワークです。また、紙ジャケ仕様だったり、スリーブのついたCDもあったりして、それも楽しい。また、海外のCDだとアーティスト解説の白い紙が入っていて、熱のこもった解説には、たまにクスっとなるものも。

 

こういった仕掛けを通して、本題の音楽に入る前に、その作品のコンセプトを視覚的に体験することができるのです。ディズニーのアトラクションには、客が並んでいる間に退屈せず、その作品の世界観に入り込めるようにあらゆる仕掛けが施してあることはご存知かと思います。ああいう感じです。これは、今のところデジタルプラットフォームでは再現できません。

 

ある旧来の表現をデジタルに落とし込もうとすると、「何が重要で何が不必要か」という価値観を無意識のうちに反映せざるを得ず、不必要だと判断されたものをそのデジタル空間上で表現するのは非常に難しくなります。「VRの父」であり、同時にミュージシャンでもあるジャロン・ラニアーによると、MIDIの登場が、それまで音符の背後にあると考えられていた豊かな多様性を排し、音楽表現に大きな影響を与えたといいます。

 

しかし最近、こんなことはデジタルに限らず、日常茶飯事で起こっているのではないかと思うようになってきました。例えば私が書いているこの文字列はどうか?文字が存在しない音声言語は世界にたくさん存在します。そうした言語を文字に落とし込もうとしたとき、元の発声に見られた抑揚や話すスピード、込められた感情などは一切捨象されて、同一の線の組み合わせで表現されることになります。文字言語は、音声言語を100 %再現しているわけではないのです。

 

文字の発明は人間に知識の蓄積を許し、文明発展の大きな契機となりました。そうした利点は非常に目につきやすい。しかし、その代償として私たちの世界認識がどのような変化を被ったかを意識することは極めて困難です。それでも、私たちは上手くやっていけている気になっています。音楽に似たようなものかもしれません。