すだまの足跡

技術と社会を考えたい理系大学院生が残したいつかの足跡。

好事家よ、SFを読め!

たまに何かの理由でエスカレータが動かなくなって、ただのメカニカルな階段と化していることってありますよね。あれって、いくら頭で動いていないんだと意識しても、乗り移る瞬間に体が勝手に重心を移動させて、前につんのめりそうになりませんか。普段は全く気づかない、長年の生活で体に染みついた無意識のルーティンが、突然意識化に踊り出たような感覚に戸惑います。

 

そして、おそらくこれは氷山の一角に過ぎず、きっと意識のスポットライトを浴びることのない無意識のルーティンというのは無数に存在するのだろうなと思います。もちろんこれはありがたいことで、逆に普段エスカレータに乗るたびに、最新の注意を払って体重移動し、ズッコケないようにすることが必要となればそっちの方が迷惑です。無意識で作動してくれているあらゆる機能が作動停止すれば、たぶん

 

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こういう事になるでしょう。

 

しかし身体的な面ではなく思考的な面で言うと、時には普段意識されないような固定観念を破って考えることが、新しい有益な発想につながったりします。何より、周囲と少し違ったやり方で物事を考えるのは楽しい。それでこそ、他でもない自分が物事を考える意味があるってものです。

 

そんな、無意識的な固定観念を破るお手軽な方法として、SF小説を読むことが挙げられると思っています(最近あまり読む時間がないけど)。SFと聞くと「スターウォーズ」とか「ターミネーター」とかを連想する人が多い気がしますが、実はSF小説はもっともっと幅広いんです。

 

例えば、以前「メッセージ」として映画化もされたテッド・チャンの「あなたの人生の物語」では、人間のそれとはまったく異なる書記体系を持つ言語を操る7本足の宇宙人が登場します。言語学者である主人公のバンクス博士は、彼らの言語の解明を通して、その背後にある世界観が人間の認識するものと根底から異なっていることに気づきます。

 

7本足のエイリアンなんてSFじゃないと出せませんが、それよりも人間と全く異なる彼らの世界観に触れることで、人間自身の世界観を相対的に見るきっかけを得ることができるのが、この作品の味わいどころです。一般的に言って、常識の外に無邪気に飛び出していき、自らの世界の「外側」から自らを眺めるきっかけを作ることは、SF小説にしかできないことだと思っています。

 

SFの世界にはもっとへんてこな作品がいっぱいあります。物理的に同じ空間に二つの都市が共存していたらどうなるのか、サッカーのボールが量子的な波動で表されたらどうなるのか、自己増殖を繰り返す横浜駅が日本列島を覆いつくしたらどうなるのか、後藤さんがプリズムで分光されたらどうなるのか、パラレルワールドにいる自分の間を自由に行き来できたらどうなるのか。

 

そういった腕が千本生えていてもツッコミ切れないような世界に足を踏み込んでみると、またいつもとちょっと違った面白いやり方で、周囲の世界を眺められるような、そんな気がしてくるのです。