すだまの足跡

技術と社会を考えたい理系大学院生が残したいつかの足跡。

物理主義者の地平線

物理の大部分と化学の全体に関する数学的理論に必要な基本的物理法則は、このように完全にわかってしまったが、唯一の問題はこれらの法則を正確に適用しようとすると、非常に複雑な方程式となり、解く望みの無いものになってしまうことである。

ー P. A. M. Dirac (1929)

 

古典物理学の世界観では、自然界のあらゆる粒子はニュートン運動方程式に従います。この方程式が手にあれば、原理的には惑星の軌道を始めとして、あらゆる系の(例えば私とか)未来を予測する事が可能です。ところが、相互作用する粒子がある数に達すると、運動方程式を一般の場合で解析的に(ペンと紙で)解くことができなくなることが分かっています。その数はいくつでしょうか。100?1000?いえいえ、答えは3です。3つの相互作用する粒子を扱う問題は、三体問題という特別な名前がつくくらい難問です。一方で、私たちの体には一体いくつの原子が含まれているでしょうか。3つじゃないことは確かです。

 

化学は分子を扱います。分子の大きさは大体0.0000001 mmのオーダーで非常に小さく、こういう世界を物理的に記述するには量子力学を動員する必要があります。量子力学において運動方程式に対応するものが、シュレーディンガー方程式です。量子化学を習い始めると、遅かれ早かれ、水素原子に関してシュレーディンガー方程式を解く方法を学びます。ご存知の通り、この世で最も簡単な原子です。さあ水素はもう解けた、ではその次は?ところがどっこい、シュレーディンガー方程式を”厳密に”解ける原子はただ一つ、水素のみです。電子が1つ多いヘリウムになった瞬間、多電子系を扱う事となり、近似抜きで解くのは非常に難しくなります。もちろん、私たちがよく見る周期表の上では、水素に続いて色とりどりの住民がひしめいています。

 

この世の中は、(少なくとも現時点で検証可能な範囲では)厳密な物理法則に寸分たがいなく従っているように見えます。しかし、だからと言ってありとあらゆる事柄を、例えば人類の歴史とか、気になるあの子の心の内とかを、根本にある法則から厳密に記述して理解しようとしても、それは無茶だというものです。ある程度の近似と経験則を導入せざるを得ず、そのとき最適となる近似の粗さは、ひとえに問題の文脈に依存します。大切なのは、適切な語り口を選ぶことであって、厳密性にこだわることでは無いのです。例えば、人間とかが絡んでくると、より一層そうなります。結局のところ、私たちは物質である以前に、他ならぬ人間であるこという事実から、逃れることは叶わないのだから。