すだまの足跡

技術と社会を考えたい理系大学院生が残したいつかの足跡。

機械学習とサイエンス

最近『ディープラーニングと物理学』とか、『物理学者、機械学習を使う』など、自然科学(特に物理学)とディープラーニングを関連付ける本を目にするようになりました。また、機械学習による創薬研究や材料開発などは、おそらく元から相性がよく、様々な企業が取り組んでいるようです。

 

ディープラーニング「を」研究するのではなくて、ディープラーニング「で」研究するとは、どういう事を意味するのでしょうか。自分の拙い理解によれば、現時点でのディープラーニング帰納的学習を行うものが主流であるはずです。つまり、機械学習モデルに大量の訓練データセットを食わせて、それらに内在するパターンを学習させ、未知のデータセットに対しても正確な出力を返すようなモデルを実現するものです。

 

こうした学習方法と、科学の発見の在り方を対比させてみるのは示唆的です。後者に関しても所説あるでしょうが、ここではアメリカの科学哲学者N. R. ハンソンの議論を引いてみます。ハンソンは『科学的発見のパターン』において、C. S. パースによるアブダクションという概念を参照しつつ、科学的発見のプロセスを以下のように定式化しました。

 

① ある予期していなかった現象Pが観測される

② もし仮説Hを真とすれば、その帰結がPとして説明される

③ ゆえに、Hを真として見る理由がある

 

ここで、①から②へ至る推論は、「後件肯定の誤謬」と呼ばれる誤謬推理の一つです。したがってこの推論は論理的に誤っているのですが、しかし科学の現場ではこうした仮説の組み立てを通して多くの発見がなされています(劇的な例としては、プランクの量子仮説とか)。

 

機械学習は膨大なデータから帰納的に法則を見つけ出すことはできますが、もう一歩進んでコンピュータに新しい概念や理論を発見することが可能かどうか、という点では議論が分かれるようです。個人的な雑感としては、ディープラーニングはシミュレーションの高速化とか、創薬における分子探索の効率化などでは非常に強力な効果を発揮しますが、理論や概念の発見に関してはまだまだ人間に舞台の座を譲るしかないのではないかと感じています。

 

参考文献:

野家啓一著(2015)『科学哲学への招待』筑摩書房