すだまの足跡

技術と社会を考えたい理系大学院生が残したいつかの足跡。

アルバムに耳を傾ける

ヒットを飛ばすようなCDアルバムには、大抵の場合いくつかのキラーチューンが含まれています。一回の試聴でリスナーを引き付けられるような魅力を持った、そのアルバムを代表する曲です。シングルとして先に公開されたり、力の入ったMVが作成されたり、ドラマやCMの主題歌になったり、CDショップのポップに「➀、②、⑤がおすすめ!」などと宣伝されたりします。

 

フルアルバムには通常8~10曲程度の曲が収録されていますが、その中でもやはり、数曲のキラーチューンが目立つものです。前半あたりに配置されることの多いそれらが過ぎると、あとは案外単調な曲が続くことも少なからずです。いわゆる「中盤からダレる」というやつですね。もちろん全部が全部素晴らしいアルバムもたくさんありますが。

 

こうしたアルバムの一つの対極に位置し、個人的に好きなのが、コンセプト・アルバムと呼ばれるものです。コンセプト・アルバムとは、アルバム中の楽曲があるコンセプトやストーリーを共有しているCDアルバムの事を指します。ただしその定義はかなりあいまいで、演劇のように明確なストーリーを追っていく類いのものがあれば、曲同士に「言われてみればそんな気もする」程度のゆるい共通点があるだけのものもあります。

 

こうしたコンセプト・アルバムにおいては、これがキラーチューンだ!というような際立ったナンバーがあまり存在しないという特徴があります。曲単体で聴くと大して印象に残らないにも関わらず、アルバムを通して順々に聴いていくと、一転して名曲に化けることもあります。つまり、「アルバムで聴かせる」タイプの作品です。

 

コンセプト・アルバムにキラーチューンが少ないことには、アルバム全体が一つの作品だという理由に加えて、もう一つの背景があると考えています。つまり、あまりに目立った曲が存在してしまうと、どうしても注意が局所に集中してしまうため、アルバム全体を俯瞰するような聴き方が難しくなるのです。これは相対的な問題であるため、全ての曲の平均的な完成度を底上げしても解決されません。例え全ての楽曲が並み以上の完成度を誇っていようと、その中の一曲でも飛びぬけていると、他が必ずかすんで見えるのです。

 

したがって、こういったアルバムは楽曲単体でリスナーに強くアピールすることができません。なので、こうしたアルバムは基本的に儲かりにくいんですね。キラーチューンでリスナーを惹きつけられるアルバムと異なり、アルバムを購入して全ての曲を聴いてからでないと、その魅力が分からないからです。

 

そのため、こうした「アルバムで聴かせる」タイプの作品はもともと多くありません。ここで一つ考えたいことがあります。音楽の無料化やストリーミングサービス化がこの状況にどういう変化を与えるのかです。

 

Apple Music、Line Music、Spotifyなど、オンライン上においてサブスク型で音楽を提供するやり方が浸透してくると、そもそもアルバムの単位が意味をなさなくなってきます。なぜなら、まとまった曲数をアルバムにまとめて販売するビジネスモデルは、CDアルバムという形で音楽を流通させることを前提にしているからです。小説においても、これまで短編作品が必ず短編集という形で世に売られていたのは、紙の本という手段で作品を流通させることを前提にしていたからです。そして、電子書籍が普及する中で、短編単体で作品を販売する作家が増えています。同じような事が、音楽に関しても言えるわけです。

 

例えばApple Musicを利用すると、あらゆるアーティストのEssentials、つまり各アルバムのキラーチューンのみを集めたプレイリストを聴くすることができます。こうしたものだけをチェックするリスナーが増えれば増えるほど、アーティストは楽曲単体で勝負にでないとならなくなるでしょう。では、コンセプト・アルバムのような作品はさらに衰えていってしまうのでしょうか。

 

一概にそうと限らないかもしれません。例えば今広く見られるように、音楽の消費者が定額サービスという形でお金を払うようになると、消費者にとって楽曲単体を聴く事と、アルバム全体を聴くことの間のコストの差が小さくなっていくからです。こうしたサービスの利用者は、まったく気軽にフルアルバムを聴いてみることができるのです。そうすると、アーティストにとってはアルバム全体を駆使した表現をしやすくなるでしょう。また、従来のアルバムの形を越えた新たな表現も生まれ得ます。例えば、聴くたびに楽曲の細部が変わるような表現だって、オンライン上では可能です。

 

個人的には後者の未来が待ち遠しいところです。いずれにしても、音楽の利用形態の変化が音楽自体に与える影響は無視できないでしょう。10年後、20年後に耳にする音楽がどのようなものになるのか、未来に向けて耳をすましてみるのも、なかなか悪くありません。