すだまの足跡

技術と社会を考えたい理系大学院生が残したいつかの足跡。

容量不足を回避する

漫画『ハンターハンター』を読んだことある方は、カストロってキャラクターがいたのを覚えてるでしょうか。念能力の概念が登場する天空闘技場編で、自らの分身(ダブル)を作り出す技を武器にヒソカに戦いを挑んだものの、ヒソカの多彩な念能力に翻弄され、返り討ちを喰らったあの人です。

バトルの決着の瞬間、ヒソカが残すセリフがこれです。 

 

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「君の敗因は、容量(メモリ)の無駄遣い ♥」 

人の容量の有限性を顧みなかったゆえの失敗です。

 

さて、話を日常に戻しますと、仮に容量が無限大であれば、あらゆる勉強やあらゆる努力は、少なくとも損になることは無いでしょう。ところがそうは問屋が卸さないわけで、ある能力の獲得は、その能力が占める容量に収まるはずだった他の能力が犠牲になることで達成されます。一人の人間の容量は変わらないまま、世の中の知識ベースが巨大化していく今の世で、この事は個々人が専門化する必要性がますます切迫したものとなる事を意味します。wikiを見ると、例えばレオナルド・ダ・ヴィンチは音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学などに貢献を残したそうですが、現代に生きる人間がどれだけ天賦の才を発揮しようと、これほどの広い分野で仕事をすることはほぼ不可能とみて間違いありません。

 

何に専門化するかを決めることは、どの領域での知識を諦めるのかを決めることです。これまで可能性を広げることに慣れてきた人間は、ここで初めて将来の選択肢を”狭める”不可避の選択に直面します。しかしこれは横切らなければならない境界で、さもなければ何者にもなりきれないまま生涯を終えてしまう不安と闘う羽目になるように思えます。

 

とはいえ、自分のコントロールした通りに行かないのも世の中の常というやつです。昔取った大学の講義でとある教員が、普通なら証明をすっ飛ばして使ってしまうような小難しい公式が登場した時、「どんなことでも後々絶対に役に立つ!」と言って黒板に証明を書き出していった姿が頭をかすめるところです。実際に、自身の専門分野とはあまり縁のない書籍で読んだことが、思いもよらない場面で役立つといった経験は多くありますし、そういった出会いが新たな専門性へと自分を導いていくかもしれません。創発的と言えるこういった偶然が与えるポジティブな影響は計り知れません。

 

自身のちっぽけな容量を上手く使うためには、自身の今いる専門分野へ意図的に制限した学習を継続しつつ、一方で無関係の分野へもほどよく首を突っ込むことによる創発的な学習も行うのが良いのかもしれません。とはいっても、たいていの問題というは両極端の間に最適解が存在すると相場は決まっていて、結局重要なのは両者のバランスということになり、はて結局話が進んだのか進んでいないのか。相対的な見方特有の煮え切らなさを感じるところですが、後はトライ&エラーでそれっぽい平衡点に到達できるよう考えるしかないんでしょうね。